シティポップという空っぽでいい明るさ
今日の日経朝刊に、日本の7,80年代シティポップが世界的にブームという印象的な記事が載っていた。
実のところ「中央フリーウエイ」とか「不思議な桃のパイ」とか歌詞に意味のない曲で、頭空っぽのバカの聴く曲のジャンルだと思っていたのだが、それは中身のなさというのは不安のない明るさや将来に開けた期待や単純な前向きさだったのだろう。
なるほど最近の曲は真面目だが閉塞感に向き合うような辛さを引きずっている曲が多いかもしれない。
■
芸術にしろ学問にしろ、ささいな趣味にしろ、人は年取ると立派な成果や功績を残すことにあこがれるけれど、本当に幸せに生きた人は何の痕跡も残さないのじゃないですかね。
寒の入りと寒さ対策
今朝は東京都心でも氷点下、我が家のベランダではマイナス4度を記録した。冬なんだから寒いのは当たり前だが、風邪も抜けていないので寒さは余計堪える。
この時期毎年寒さに血迷って、ろくでもない防寒対策に右往左往しているのだが、今年は落ち着いて妄動を避けることにしたい。
で、今年の寒さ対策。
1.着込む
下着が大切だが、ヒート・○ックとかナントかヒートのようなハイテク下着も実際のところ薄い割には暖かいというものだから、動かない分には単純に厚い下着の方が暖かい。
今年はアメリカ製9オンスのヘビーウエイトTシャツを着込んでいる。
2.食う
中から暖めるのは重要で、食べるというのはエネルギーを摂取すると同時に、食うことでエネルギーを消費して熱を生じるものである。まよわず間食もとって暖まる。
3.動く
激しい動きはそうそう続けられないが、ストレッチと深呼吸が経験的に暖まる。
4.マスクをする
冷たい空気を吸わないというだけでもだいぶ暖かい。
酒は飲まないのかって?酒は温まるが冷えるのも早い。気分はよくなるが、その後の体調まではどうなるかわからないのであまりおすすめはできない。冬の夜道で行き倒れ、気持ちよく昇天するにはいいかもしれないが。
夏の終わりの始まり
九月二日頃は処暑の末段にして禾乃登(こくものすなわちみのる)の候とある。
本当に暑さが収まってくれるのならそんな結構なことはないが、残暑はまだまだ続く見通しである。それでも今日は東京でも雨が降ったり止んだりを繰り返して、夏も一区切りの感はある。しかしながら当の雨の雨域も局地的で、まるで夕立馬の背を分けるというような夏の雨に近いようだ。
このところは記録的な小雨の日照りが続いていたから、恵みの雨ではあるのだけれど、何となく家で引きこもって過ごした。
雨降りの散歩など以前は大層私の好むところであったはずなのだけれど、いつの頃から、雨に気分んが盛り上がらなくなってきたかもしれない。いつの間にやらではない、いつからかははっきりしているはずだ。あの爆発のあと放射性物質が舞い上げられ、雲に補足されて移動し各地に広まってしまった上に方々にホットスポットを作ったあの事態以来、雨は歓迎されない記憶がついて回るものになってしまったのかもしれない。