シティポップという空っぽでいい明るさ

今日の日経朝刊に、日本の7,80年代シティポップが世界的にブームという印象的な記事が載っていた。

実のところ「中央フリーウエイ」とか「不思議な桃のパイ」とか歌詞に意味のない曲で、頭空っぽのバカの聴く曲のジャンルだと思っていたのだが、それは中身のなさというのは不安のない明るさや将来に開けた期待や単純な前向きさだったのだろう。

なるほど最近の曲は真面目だが閉塞感に向き合うような辛さを引きずっている曲が多いかもしれない。